「穢れ(けがれ)」あるいは、「汚れ(けがれ)」という思想は、神道や仏教の考え方の1つになっており、日本人にはなじみの深い言葉ではないでしょうか。
しかしなじみ深い言葉ではあるものの、穢れについて正しく理解している人は意外に少ないのです。「穢れ=肉体や魂の汚れ」と解釈する人が多いのですが、実は穢れは「気枯れ(けがれ)」という状態を示しているのです。
産まれたばかりの赤ちゃんは無垢で、穢れを知りません。神様に限りなく近い存在といえるでしょう。しかし人は成長するにつれて、さまざまな事象に触れ、出会いを経験し、学びを得ていきます。その経験の中には快いものもあれば、不快なものもあるでしょう。そして不快な経験の多くが、他人と自分を比較することから来るのではないでしょうか。
多くの人が意識するにせよ無意識であるにせよ、「自分は誰それよりも優れている、劣っている」と感じ、それに一喜一憂する心を抱えながら生きています。このような感情は、人を大きく疲弊させます。
その結果、気が枯れていくのです。気とは、生きていくためのエネルギーです。人が生き生きと暮らすためには、天や地といった自然界からの気を取り入れ、それを滞ることなく巡らせて、エネルギーを得なければいけません。
しかし穢れた状態に陥ると、気を受けて巡らせる力が失われてしまいます。その結果、生きていくための気が枯れてしまうのです。