開運

名前を整えると開けていくあなたの運

「名は体を表す」の本当の意味

姓名判断というのがありますが、これは人の姓名からその人の運命や性格、健康などがわかる方法です。姓と名からなぜそこまでわかるのかというと、それらが実体をも表しているからに他なりません。「名は体を表す」という言葉がありますが、これは「なはたいをあらわす」と読み、名前がその人の生きざまを表しているという意味です。そう聞くと、姓名の音読が「生命」と同じというのも頷けるのではないでしょうか。

「名は体を表す」の「体」の漢字は「態」と迷うかもしれません。確かに、両方とも外から見た様という意味を持ちます。しかし、厳密に言うと、両者には違いがあります。「体」は実際の姿という意味を持つのに対し、「態」はその時々の状態を指しているといった方が適切なので、名を表すのには「体」という漢字を使います。また、「てい」と読んでしまいがちですが、正解は「たい」です。

姓名判断をすると、これまでどのような人生を歩んでいきたかということもわかりますし、そうしてきた理由もわかります。また、この後に歩んでいく人生をも知ることができますし、上手く活用すれば運を開くことだってできてしまうでしょう。

「名は体を表す」の類義語は、「看板に偽りなし」や「名詮自性(みょうせんじしょう)」など、いくつかあります。前者は看板通りの中身ということで、外見と中身に違いがないという意味です。後者は仏教用語で、名を明らかにすれば(詮)、それ自体の本性がわかるという意味です。

また、対義語もいくつかあります。例えば「名前負け」というのは、立派に名前に反して行動が伴っていない人を表す言葉ですし、「看板倒れ」も同じ意味です。「有名無実」というのも、名前は有名で実が何も無いということです。その他には「羊頭狗肉」が挙げられます。「狗」というのは犬のことで「く」と読み、「卑しい」という意味があります。この言葉は中国、宋の時代の禅書「無門関」に記されており、羊の頭を店頭に掲げながら実際には狗の肉を売るという、ごまかしのたとえとして用いられます。

このようなことから、人の名前はとても重要な意味があるのです。興味のある方は、自分の名前を鑑定してもらってはいかがでしょうか。きっとさまざまなことがわかってくるはずです。

とは言え、もしもこれからの人生にあまり良いことがないと言われてしまったら、がっかりしてしまうことでしょう。しかし、名前を思い切って変えてしまうことで、運を味方にすることも可能です。

「三大原則」と「五大真理」がカギ

名前を整える上で、さまざまなポイントがあります。その内の一つが「三大原則」です。これは、字音・字形・字義の三つを指しています。字音はまさに呼ばれる時の響きそのものなので、とても重要です。良くない字音であれば悪いことを連想するばかりで、本人も気付かないままに、音そのままの人生を送ってしまうことがあります。同じ漢字であってもどう読むかがポイントなのです。

また、字形もさまざまなものを連想させます。例えば「正」という感じは正しいという意味を持ち、とても良いと思われますが、字形からすると少々異なります。「一」と「止」に分けられることで、「一」という壁によって物事が「止」められてしまうからです。漢字は長い時間をかけて作り出されものであり、その成り立ちを紐解いてみると、良くないことを連想させるものは少なくありません。

最後の「字義」は、字の持つ意味のことです。例えば、「賊」「悪」といった良くないことに使われる漢字は、名前に誘導されるかのように、不名誉な問題を起こしてしまい兼ねません。「福」「富」などはいかにも幸運を招きそうな漢字ですが、欲張り過ぎてかえって苦労の多い人生を歩むこともあります。

「五大真理」は、読み下し・五行の配置・陰陽の配列・天地の配合・画数という五つを指しています。この内、もっとも重要なのは「読み下し」です。「読み下し」は文字の意味や印象のことで、その人の人生や人格の相対的なものを表しています。

「五行の配置」とは、古代中国で宇宙に存在するものは「木・火・土・金・水」の5つの要素からできているという考えのもと、この5つのバランスを重要視します。「陰陽の配列」は、温和などの意味を持つ偶数(陰)と、活発などの意味を持つ奇数(陽)のバランスを重要視しています。そして、「天地の配合」は、姓の一番上の数字と、名の一番上の数字の組み合わせのことで、「画数」はすべての文字の画数のことです。

名前は周囲の人から呼ばれ、書類にも記載するなど、自分でも認識する機会がとても多いです。そのため、言い続けたり使い続けることで、実体が名に近づいていくということは十分に考えられます。これは、言葉に霊が宿るという意味の「言霊(ことだま)」と言い表されることもあります。既にとても良い名前が付いているのに、これまでの人生がそれに伴っていなかったとしても、そこに近づいていくことは不可能ではないのです。